労働法

2020年6月 8日 (月)

ジャパンビジネスラボ逆転高裁判決の真相③―録音禁止命令と記者会見の違法性

 今までの2回でだいぶ量を書いたので、最終回は録音禁止命令と記者会見の違法性という2つのテーマについて軽く一言しておきます。

1 録音禁止命令について
 本判決について、録音禁止命令への違反が雇止めの合理性を認めることにつながった事例だという評価の向きがありますが、ミスリーディングだと思います。
 前回紹介したとおり、高裁判決が雇止めの合理性を認めた根拠は、ア録音禁止命令や誓約に違反し、自己に有利な会話を交渉材料とするために録音した、イ「労働局に相談し、労働組合に加入して交渉し、労働委員会にあっせん申請をしても、自己の要求が容れられないことから、広く社会に報道されることを期待して、マスコミ関係者らに対し、Yの対応等について客観的事実とは異なる事実を伝え、録音したデータを提供することによって、社会に対してYが育児休業明けの労働者の権利を侵害するマタハラ企業であるとの印象を与えようと企図したものと言わざるを得ない」、ウ職務専念義務違反(パソコンやメールの私的利用)を根拠に合理的理由があるとした、というものです。前回も触れたとおり、アはイの準備行為で、アの行為単体がそれほど重いのではないと思います。また、「自己に有利な会話を交渉材料とするために録音した」という認定なのですから、録音命令違反でも本当に備忘のためであれば同列に扱われたかは疑問です。
 さらに、禁止されかつ雇い止めの際に問題とされたのは「執務室での録音」であって、「面談や交渉の場面の録音は個別に許可」されていたことは注意を要します。
 以上、面談や交渉の場面をこっそり録音しておくことは禁じられないと思いますし、これまでの裁判例を見る限り禁じたとしても録音の証拠能力が否定されるハードルは相当高いと思います。結局、「執務室内での録音は一般的に禁止し、個別に違反が発覚したら注意指導すべきだが、常に録音されていることは意識しておかなければならない」となると思います。本件は特殊な事案で、単に録音命令違反にとどまり、その録音をマスコミに提供し、「復帰してすぐに保育園が見つかったのに正社員に戻してくれず嫌がらせを受けた」という虚偽のストーリーを自分の権利実現のためにマスコミに流したという事実がなければ信頼関係の破壊すなわち雇止めの合理性にはつながらなかったと思います。録音命令違反を過大視することはできず、先例としての価値もあまり大きくないと思います。

2 記者会見の違法性について
(1) この違法性を認め、55万円の支払を認めた高裁判決は、流石にこの事案の特殊性を十分理解した今となってもなお驚きです。高裁判決のなかでもY側の不法行為の成否の際に触れられていますが、「被告の立場から事実関係及び認識を説明したものであって、訴訟の反対当事者による対抗言論」という観点が無視できません。結果的に否定されたとしても、判決が確定するまである事実の存否とか主張の当否は確定しないので、訴訟の一方当事者の主張を軽々に不法行為と判断することはできないわけです。
(2) 高裁判決のポイントは、次のとおりかと思います。
 ① 記者会見は民事訴訟上の主張と異なり被告の反論の場がないことを重視したこと
 ② 「報道に接した一般人の普通の注意と読み方を基準」とし、単なる一方当事者の主張ではなく、事実の摘示と判断したこと
 ③ 具体的な発言で、Yの信用低下をきたし、かつ真実相当性も否定されたのは次の3つです
  ⅰ 平成26年9月に育児休業期間終了を迎えたが、保育園が見付からなかったため休職を申し出たものの認められず、Yから週3日勤務の契約社員になるか自主退職するかを迫られた
  ⅱ 子を産んで戻ってきたら、人格を否定された
  ⅲ Yが労働組合に加入したところ、Y代表者が「あなたは危険人物です」と発言した
  まずⅰはちょっと厳しすぎやしないかとは思います。判決で自由な意思だったと認められるのはいいのですが、「週3日勤務の契約社員になるか自主退職するかを迫られた」はXの内心の評価の問題でもあるし、まあ退職になるよりはマシだとは言え、Xの本意ではないことは明らかでしょう。そもそも事実の摘示と認めるかどうかについても議論があるところでしょう。
  次にⅱはなるほど、「Xの主張を見ても、YによるXの人格を否定する言動を具体的に指摘するものではない上、証拠を踏まえても、XがYから人格を否定される言動を受けたことにつき、具体的な立証があったとはいえない」としているので、かろうじてOKかもしれません。ただ、この発言自体あんまり破壊力が強いとは思えないのですが。。。
 最後にⅲは、もとの発言は「あなたが組合とかって関係なく、危険であるというところで」です。これを組合に加入したところ「あなたは危険人物です」と言われたというのはさすがにやりすぎでしょう。「文脈からすると、「危険」とは、クラスに穴を開けることが懸念されたなどのYにクラス担当を任せることについてのリスクをもって「危険」という表現を用いたことが認められる」とされているが、正当です。
 (3) 細部を見ると首をかしげたくなる部分がある判断でありますが、こういう判断が出たのは何度も触れた保育園のウソであったり、高裁判決も指摘しているが平成27年6月6日のメールが「記者会見を一審被告に社会的制裁を与えて自己の金銭的要求を達成するための手段と考えている趣旨のメール」と悪印象を与えたことが大きいのでしょう。
(4) なお、この高裁の判断だと、「もうちょっとうまく言ってればセーフだったんじゃない?」という疑問もあります。ざっくりと本件を見た場合に、「俺なら自分で養うつもりで妊娠させる」を文脈から切り取ってマタハラ企業の印象づけに使ったことが一番の問題なのではと感じます(もちろん私の超主観ですが)。上記3つの発言なら、なしかちょっと言い回しを変えるだけでXの望むような効果は得られたのではないか?との疑問もわきます。
 また、マスコミ側も節操がない部分はなかったでしょうか。Yの言い分をちゃんと報道しているようなマスコミは当時どのくらいあったのでしょうか。もちろんXのよろしくない部分もありますが、マスコミの扱いの問題性も大きいような気がします。まあこの問題は少し難しすぎますね。最高裁でこの部分は変わるかもしれません。

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2020年6月 6日 (土)

ジャパンビジネスラボ逆転高裁判決の真相②―事実認定の評価と使用者側の対応に学ぶこと

<判決が認定した事実経過>
H25.03.02 Xが出産による育児休業を開始
H26.02.26 育児休業期間延長(1年6ヶ月の最大期間まで)
H26.08.23 面談。Xは育児休業終了後にさらに3か月間の休職を求めたが、Yは応じず、Xは退職する意向を表明
H26.08.26 一転、Xが電話で、週3日勤務の契約社員として復職を希望を伝える。Yは9月21日から毎週日曜日午前10時に開講されるクラス1コマを担当させる予定とした
H26.09.01 Y代表者、上長が顧問社労士同席の上、契約内容を説明、雇用契約書と秘密保持に関する誓約書に署名。顧問社労士はXの質問に答え、正社員としての労働契約に変更するには別途合意が必要と説明
H26.09.07 復職後担当した説明会においてXが受講生からの質問に対し沈黙してしまい、上長の提案により、Xが別のコーチ担当のクラスをオブザーブ。他の従業員らのいる前で、そのコーチの能力に問題があり、「危機感すら感じる」と発言
H26.09.09 Xが保育園が見つかったとして10月から正社員としての復帰を申出(保育園が見つかったというのは実は虚偽であった)。翌日代表者にメールでも伝えるが、代表者は現段階では正社員への変更は考えていないとのメールを直ちに送信
H26.09.19 Y代表者、上長、顧問社労士と面談。正社員復帰やいつ正社員に復帰できるか尋ねるXに対し、復帰には信頼関係が必要で、正社員に戻れる時期を確定はできない等回答。Xは納得せず「労働局に相談に行く」と述べるが、そのような行為は余計に波風を立てることになるのではと回答。面談後、上長はXをクラス担当から外し、TOEFLコースの資料の作成をメールで指示
H26.09.21 X、労働局に労働関係紛争の解決援助の申出。同日、Xは同僚らに「上長から産休コーチが帰ってくると組織のバランスが乱れると言われた」と話した。旨話した。その後、他の同僚に対し「Yににいじめられている、あなたも妊娠を考えているなら気をつけた方がいい」などと発言
H26.09.24 上長と面談。上長が「俺は彼女が妊娠したら、俺の稼ぎだけで食わせるくらいのつもりで妊娠させる」と発言し、録音される
H26.10.06 代表者と顧問社労士が労働局に行き会社の立場の説明。同日XはZ合同労組(女性ユニオン東京)に加入
H26.10.09 Z労組、正社員契約への変更、勤務時間を午前11時から午後4時までを含む1日6時間とすることなどを求めて、団体交渉を申し入れ
H26.10.18 XとY代表者、上長で面談。X「正社員に戻れるのかと時期が不明なまま」との不満を述べる。Y代表者は「信頼関係が構築される必要がある」として時期は明言しなかった。クラス担当を外した理由について「ブランクがあり徐々に慣らしていくことが絶対に必要」と上長話し、Y代表者同調。さらに、Y代表者「あなたが組合とかって関係なく、危険であるというところで。」と発言
H26.10.22 9月7日に他のコーチのクラス運営について,危機感すら感じると他の社員に聞こえるように大きな声で発言したこと、21日に同僚に対し「産休コーチが帰ってくると組織の規律が乱れる」と言われたとの事実と異なる内容を話したこと、勤務時間について希望を過度に主張したことについて、これらの言動を慎み、勤務態度を改善するよう努力する旨の指導書交付。
H26.10.25 16通の業務指導書・警告書などを一括交付。指導に従うときには,上記各文書の「文書の趣旨を理解し、改善向上に努めます」との記載がある欄に署名して提出し、異議があればその記載するよう求めた。指導書のうち1通はYが退職勧奨をしていないのに退職勧奨をしたとXが他言していることにつき禁止するもの、別の1通は執務室における録音を禁止するもの、別の2通は「自分がターゲットにされている。」、「会社にいじめられている。」、「妊娠したいなら気をつけた方がいい」、「『産休明けの社員が戻ってくると社内規律が乱れる』と経営陣が言っている」と発言し,職場の秩序を乱した等として指導をするというもの。
H26.10.26 Yは25日の各指導書等を読み合わせの上提出するよう求めたが、Xは持ち帰って検討するとする。
H26.10.29 X各25日の指導書等には署名しないとし、返却。Y代表者は業務改善指導に従わず、改善の見込みがなしとして改めて厳重指導を行う等の指導書を交付
H26.10.30 X、Y代表者出席の上団交。Xを正社員に戻すように要求したが、Y代表者は直ちに応じられないとする。組合関係者は「保育園の入園が決まっている」としたが、Xは事実と異なるこの発言を訂正せず。
H26.11.01 Y、Xに対し数々の指導に関して改善を行うよう業務改善指示を行う。労働局への相談や組合加入によるものでない旨の記載がある指導書交付
H26.11.19 このころ、9月19日以降のXの言動を挙げ、Xが指示命令に素直に従おうとせず、正社員に戻りたいとの自己の主張のみを押し通そうとして、一審被告との間の信頼関係を構築する努力を全くせず信頼関係が破綻しており、正社員には変更できない旨の回答書送付
H26.12.02 団交するもまとまらず、以後、団交は一旦中断
H26.12.10 X、業務用のパソコンを用いYの他の従業員に対しY告代表者の発言を批判するとともに、「早くあの場から去りたいですが、辞めると交渉権を失ってしまうので、会社の敗北をしかと見届けるまで、戦います。」、「面白いことに、時間が経てば経つほど、会社はボロを出してくれています。…引き続き、報告はさせてくださいまし。ひひ^^」等のメールを送信
H26.12.12 Y、組合に対し職場復帰した当日にYの全従業員に対し「保育園が決まり次第、週5日勤務で働くことになっている」などと誤った内容の挨拶をし、正社員化への既成事実を作ろうとして不誠実な態度を取ったほか、自己中心的な要求を行ってYの労務管理担当を混乱させるとともに、Yの女性従業員に対し「私、会社にいじめられているから、あなたも妊娠を考えているなら気をつけた方がいいよ」などと事実でないことを吹聴し、いたずらに女性従業員の不安心理をあおり、企業秩序を乱す言動を行ったことなどを総合判断して、9月10日の時点でXを信頼してコーチとしてクラスを受け持たせ正社員に契約変更することはできないと決定した旨を記載した回答書送付
H27.05  X、マスコミに接触し、育児休業の終了に際して本件契約社員契約を締結し、その後正社員に戻すことを求めたが、Yが応じなかったことに関する情報を録音データとともに提供。XYは匿名ながら、東京都内の教育関係企業で働く女性が直属の男性上司から「俺なら、俺の稼ぎだけで食わせる覚悟で,嫁を妊娠させる」と言われた、育児休業終了後に子が保育園に入れば正社員に戻すとの条件で週3日勤務の契約社員として復帰し、その後保育園が決まったのに、上司は正社員に戻すことを渋り、押し問答の末に上記発言が出た、女性は社長とも話し合ったが、「産休明けの人を優先はしない」などと言われ、嫌なら退職をと迫られた、まさに社を挙げてのマタハラで、労働局の指導も会社は無視、女性の後に育休を取った複数の社員も嫌がらせを受けて退職した旨が報道された。Xは同僚に自分の関与を明らかにする。
H27.06.04 Y代理人名の内容証明。労働審判を申し立ての通知と、上記報道記事記載のX発言は真実に反するから、マスコミを含む外部の第三者に対して本件に関する不用意な発言を厳に控えるよう強く要請する旨の通知
H27.06.06 X、業務用パソコンで自宅のアドレス向けに「弁護士折衝において」と題して、「今、「マタハラ」が脚光を浴びていること。提訴し、記者会見をすることで、裁判には前向きです。」、「基本的に、私は,裁判に前向きです。その前に、早期解決を図るため金銭的和解に応じるのであれば、800万円。その金額以下で、裁判を避けることは考えておりません。提訴することが決まり、会社名を公表した記者会見をし、その後、和解、という流れで、会社に対して、十分な社会的制裁を与えることができれば、800万円という金額にはこだわりません。会社は、裁判というより「記者会見」を嫌がるでしょう。「記者会見」を避けるために、こちらの言い値を支払うこともありえると思っています。」と記載したメール、上場に夏季休暇の確認をしたところ,Y代表者からメールが送信されたことに関して、「白状すると、私がちょっと嫌味なメールを送り、仕掛けたところがあります。」「弁護士から内容証明が送られる6月5日以降に、反論したいと思っています。重箱の隅をつつくような反論ですが、「矛盾している点について、抗議の姿勢を示しておくこと」に意味があると思っています。」と記載したメールを送信

1 事実経過に対する評価
 使用者をY、労働者をXとしています。これでもだいぶ端折ってまとめていますが、膨大な量です(もう少しまとめようと思いましたが面倒になってしまいました(笑))。9月9日に保育園が見つかったとしたのが虚偽であったことは高裁段階で明確になったのは前回記事のとおり(もっとも高裁判決は新証拠である弁護士照会を待つまでもないとしていますから、原審段階でも同じ認定は可能であった趣旨でしょう)です。
 確かにXは正社員復帰の意欲は一貫してもっていたのでしょう。育休の延長ができないとわかり、8月26日に一旦退職の意向を伝えたのは本意でなかったはずでしょう。まだ未練があったから29日に一転契約社員での復帰を申し入れたのでしょう。9月1日の説明時も正社員にいつ復帰できるか気にして聞いているが、社労士から契約の再締結が必要と言われて容易ではないと悟ったでしょう。9月2日の復帰後、9月9日には例のウソであったところの「保育園が見つかった」との話を出して正社員での復帰を求めているが、これはいわば正攻法ではだめでこうとでも言わないと正社員復帰は難しいと感じはじめていたからでしょう。このあたりでXは手段を選ばず正社員への復帰を求める方向に転じたのではないでしょうか。9月19日には労働局に相談に行くと述べているが、これはやや過激です。なぜこうも焦ったのでしょうか。
 推測に過ぎませんが、育休明けまでのYのXに対する評価としては「ちょっと変わったところはあるかもしれないが、辞めてほしいような人材ではない」というくらいのものであったのではないか(もっとも復帰後出された業務指導書では8月26日の会議までにも暴言を吐いて会議時間が大幅に延期になったとして指導しているのですが)。8月26日の3日後一転して契約社員での復帰を申し入れられ、急ではありながらもなんとかコーチのポストを調整しています。ここまでのYの対応は全く誠実と評価してよいのではないかと思います。「どちらかというと辞めてほしいような人材」であったとすればこの調整までしなかったのではないかと思われます。「退職前提でコーチの担当を組んでしまったから今更無理だ」という対応もY側には考えられました。復職後、説明会で受講生からの質問に対し沈黙してしまい、上長がオブザーブを提案したのも多分純粋に好意であり、同時にこのままコーチに復帰させて大丈夫かと心配下からだと推測されます。はじめの転機は9月7日のオブザーブ時のXの発言でしょう。どうやら他のコーチのクラスをオブザーブしてその内容が至らないと見たのか、「危機感すら感じる」と他の従業員の前で発言したというのです。これはちょっと普通ではありません。Y側もここまではすぐには無理としても後々正社員として復帰させることも考えていたかもしれませんが、この言動は方針転換に影響を及ぼしたのかもしれません。おそらくYは9月19日にXを切る方向を固めたのではないかと思います。面談時「労働局に行く」などとかなり不穏当なことを述べたから、面談後Y代表者、上長、顧問社労士で方針について相談検討したでしょう。危機感すら感じる発言や労働局に行く発言などから、「今後信頼関係を維持するのはムリ」と結論を出した可能性が高いです。そうして、面談後に上長がクラス担当を外すというメールを送付することにつながります。
 以上、復職前後のXYそれぞれの思惑について、全くの推測ですが検討をしてみました。公正な目に立ってみてもやはりあまりXに同情できません。Y側に責められるべき点というか、超誠実であることを求めるのであれば、9月2日に正社員に復帰するには別途契約が必要だと説明するに際し「正社員に戻るといっても、Xの保育園の都合だけではなくて、少ない人数でクラス担当を含め限られた仕事を回しているなどこちらの都合もあるから、1年くらい待ってもらう場合はあるよ。でもあせらずちゃんと仕事してもらえればいつかは正社員契約に変更になるから」とでも説明しておけばよかったのかもしれません。これは理想論としてはあり得ますが、前回記事で紹介した学説がこう説明しておかないと不利益取り扱いだ、真意による同意がないのだ、という議論をするのであればそれは行きすぎでしょう。まあ、Xに少しでも同情する余地があるとすれば、こういう説明を受けていれば9月9日以降保育園が見つかったというウソや労働局に相談に行くという脅しという極端な手段で復帰を求めるという「暴発」を起こすことはなかったのかもしれません。また私の評価では、コーチの任を解いた時点でYはXを切る方向に転じたと考えられるので、Yが「嫌がらせ」と言いたくなる気持ちは理解できます。しかし、9月7日の「危機感を覚える」発言、9月9日には保育園のウソをついても正社員復帰を求め、9月19日には労働局に相談に行くと脅すとエスカレートしたXの行為は申し訳ないが正当化できないと思います。
 以上の解説からおわかりかと思いますが、正社員復帰の道を自ら閉ざしたのはXの行為です。Xがあせらず、即時の正社員復帰にこだわらず、実績を上げる方向で努力すれば本件はこうなっていません。Y側はそうする機会は9月19日にコーチの任を解くまでは十分に提供していたと評価できます。

2 Yの対応に学ぶもの
 一連のYの対応について、評価できる点と課題を指摘します。
 ① 育児休業の再延長を拒否したこと、契約社員として復帰することを選択しなければ退職とならざるを得ないこと、契約社員として復帰する際に提示した条件いずれも合理的です。特に本心ではあまり復帰を歓迎しない労働者の場合ここが雑になりやすいものです。
 ② 9月2日の再契約時から顧問社労士を立ち会わせているのも、あるいは将来的な紛争の萌芽を感じとっていたからかもしれません。そうであったとすれば素早い対策です。
 ③ 説明書面に「正社員復帰が前提です」と記載されていたことは本件地裁高裁判決ともに何らの合意なく当然に復帰するという意味ではないという判断ですが、「正社員復帰が予定されていますが、正社員契約を締結しなおす必要があります」などと記載すればよかったのではないでしょうか。
 ④ 9月9日に保育園が見つかったから正社員復帰したいとの連絡に対し、すぐにY代表者が「現段階では正社員への変更は考えていない」としたこと(なお地裁判決によると「詳細は9月19日の面談で話す」としたらしい)は、良し悪し両方の評価が可能であるように思います。9月19日の面談内容を受けて嫌がらせ的に復帰を阻止しようと考えたという評価を免れられたのが良い点、面談前から復帰させる意図はなかったと評価される恐れがあるのが悪い点です。結果的に前者のメリットが大きかったように思います。
 ⑤ 9月19日の面談については、地裁段階では事実認定はもっと詳細です。おそらくこの日ままだXは面談の録音をしていなかったのではないでしょうか。面談内容の認定は陳述書と尋問によったのではないかと思われます。
   地裁判決の認定などを考え合わせると、9月19日(代表者のメールであれば9月9日)に即時の正社員復帰はできないとしたYの対応はやや厳しいのではという疑問はあります。8月23日にXが復帰を一旦断念するまではYは正社員復帰を前提としていたはずですし、8月26日に一転復帰をいわれた際には短期間で調整してコーチを割り当てるようにしています。が9月9日は何ら検討した形跡なく、すぐに「現時点での復帰は考えていない」というのは若干不自然ではあります。9月7日の「危機感すら感じる」発言、そしてオブザーブの前提となった生徒の質問に対する沈黙、上記では省略したが9月7日にXは「被告代表者又はAから聞いているかもしれないが、保育園に子を入れることができ次第、1週間5日勤務の正社員として働くことになる、まだいつになるか分からないが、その際は今よりもYに貢献できるようになるかと思う」というメールを上長に送り、上長はこのメールをY代表者に転送し「然るべきパフォーマンスを発揮したら復帰という自分の認識とギャップがある」と述べています。復帰当日にもXは「保育園に預けられなかったから契約社員で復帰したが、保育園が決まり次第週5の正社員に復帰したい」というメールを同僚に送っているようで(なお、地裁判決はこのメールに対する返信でY代表者らが復帰に関する認識の違いを述べなかったことを指摘しています。が、仮に「認識が違う」と思っても復帰間もないYを慮ってそう指摘しないことはあるでしょう。現に上長も7日のメールを受けて認識の違いに困惑したのが、直接Yにその旨指摘することはしていません)。要するに復帰直後のXの様子を見て、上長ひいてはYは「正社員に戻すのはブランクや問題発言があり危ない。その割に保育園が見つかれば正社員にすぐ復帰できるかのようにXは言っている」と早期に正社員に復帰させることに危機感を覚えていたのではないかと推測されます。それが復帰前の比較的柔軟な対応と、復帰後の「すぐには正社員に戻さない」という比較的強硬な対応の差になっているのではないでしょうか。9月19日の面談内容は地裁の認定の方が詳細ですが、確かに地裁の認定のとおりだとすると「正社員として戻ったけれども育児休業明けだからといって優遇しては組織のバランスが崩れてしまう」とYは述べています。「クラスには穴を空けないということが大前提」と述べたことは高裁認定でも維持されています。これは確かに育休明けの従業員に対しては柔軟性を欠くといわれても仕方がないでしょう。
   結果Xも労働局に相談に行くと述べるに至り、前述のようにYもここでXを切る方向性を固めたのでしょう、面談後にクラス担当を外す連絡をしています。
   9月19日の面談をどう評価するかは難しいです。Y側のやや強硬な対応が「労働局へ行く」の引き金となっているのだとすれば、Xにやや同情の余地はあります。ただ、9日時点での保育園のウソなどと比較した際にY側の対応がそれほどに悪いとは思えません。やはりX側の、とりわけ復帰後の行動が「すぐには復帰は絶対させない」というY側の態度の硬化を招いてしまったものと思います。
 ⑥ 19日の面談後の対応は評価が分かれると思います。私は道義的な良し悪しではなく、損得の問題としてYの対応はやりすぎだと思います。善悪を措くとして、客観的に9月19日の面談時点でXの正社員復帰の可能性はなくなったと見ざるを得ません(善悪を措き、Xが正社員復帰を望むなら引き下がって契約更新時の切り替えを望むしかなかったはずです)。10月25日の大量の指導書等は指導に従って事態が改善することを目的とするのではなく、裁判へ向けた証拠づくりでしょう。で、Xを切る方向を固めるとして即コーチの任を解く、数日後大量の指導書を出すというのでは印象が悪すぎる。地裁はこの点を重視しており、実際にYにとって大幅に不利に作用しています。私がこの時点で相談を受けたなら、コーチの任を解くことはもう少し状況をみるべきと言うと思うし、業務指導書はもちろん出すべきすが、特に交渉の内容に関わるようなものは控えた方が無難ではないでしょうか。地裁判決では全指導書等の内容が認定されていますが、「労働局から歩み寄ってはどうかと助言されたのに自己の主張を通そうとするのは社内秩序を乱すから指導する」という類のものは私なら出しません。①虚偽の事実の流布(そこに退職勧奨等を列挙する)、②職場の秩序を乱す言動(妊娠したら気をつけろ、危機感すら覚える)、③録音禁止くらいで足りるのではないでしょうか。その後指導に重ねて違反した際にさらに強い警告書、懲戒処分と進むべきものだと思います。
 ⑦ 9月24日の上長との面談の際、上長が「俺は彼女が妊娠したら、俺の稼ぎだけで食わせるくらいのつもりで妊娠させる」と発言しています。本件では復帰直後からXは執務室及び面談時の録音を行っていたが、後日この録音がマスコミに公開され、Yがマタハラ企業であるとの印象づけにも大きく影響を及ぼすこととなりました。本判決では文脈を踏まえて「適切なものとはいえないものの、就業環境を害する違法なものとまではいえない」としていわば救済されましたが、地裁判決では厳しく指弾されていた部分です。
   この点は教訓とすべきであり、Xの録音を予想し、発言は慎重に行うように徹底すべきでした。遅くとも9月19日の段階で顧問弁護士も交え、今後録音もありうることを予想しつつ、面談には慎重に対応するよう代表取締役・顧問社労士・当該上長を含めて確認されていればこのような失敗は回避できたはずです。
 ⑧ その後の対応は概ね良いと思います。団交対応、更新拒否通知の送付のタイミングとその内容等、参考になる部分が多くあります。
 ⑨ ところで、12月10日の「ひひ」メールを含め、会社のアドレスを通して組合やXの代理人弁護士にメールを送付していたことから裁判にはXのメールが証拠として提出されるに至った(と思われます)。「ひひ」メール以外に、800万円以下では裁判外の解決を望まないとか、まあ少なくともXからすればあまり裁判所に知られたくない内容のメールが証拠として提出されることになっています(業務用パソコンのゴミ箱から復元したと高裁判決の指摘があります)。これは形式的に職務に専念していないとか社用物の私的利用と評価される以上の意味が実際はあるでしょう。このメールがなく、保育園のウソだけで高裁の結論が変わったかはわかりません。その意味で、実は会社のメールで送ってくれたことはYにとって幸運だったと思います。

3 雇止めの可否と残された課題
 (1) 本件有期契約が労契法19条2号の更新に合理的な期待があるものにあたるとした結論は当然ですし、特に異論はないでしょう。そこで、雇止めに合理的な理由があるかですが、高裁判決はア録音禁止命令や誓約に違反し、自己に有利な会話を交渉材料とするために録音した、イ「労働局に相談し、労働組合に加入して交渉し、労働委員会にあっせん申請をしても、自己の要求が容れられないことから、広く社会に報道されることを期待して、マスコミ関係者らに対し、Yの対応等について客観的事実とは異なる事実を伝え、録音したデータを提供することによって、社会に対してYが育児休業明けの労働者の権利を侵害するマタハラ企業であるとの印象を与えようと企図したものと言わざるを得ない」、ウ職務専念義務違反(パソコンやメールの私的利用)を根拠に合理的理由があるとしました。
   このうちウは実質的には送ったメールの内容が問題で、アイの認定に大きく寄与しているが、ウ単体では大した問題ありません。アは備忘のためだというXの主張を否定して「自己に有利な会話を交渉材料とするため」とまで認定されたことに注目を要します。イは判決文をそのまま引用しましたが、ここまで判決が言い切ってくれるのはまれで保育園のウソからいわゆる心証の雪崩現象が起こったのかと思います。アはイのいわば準備行為だから、イが最重要な理由です。イは実際そのとおりだと思いますし、だから本件では雇止めを可とする結論に賛成です。ただ、逆にここまで認定する材料が揃ってない事案だとどうなるかは気になるところではあります。
 (2) 本件が特殊な事案なためクローズアップされませんでしたが、残された課題は「仮にYが誠実に契約社員としてその職務を果たし、保育園が決まるなどしてフルタイム勤務も可能になり、1年後の更新時に正社員への復帰を求めた場合にこれを拒否したらどうなるか」という問題でしょう。前回記事で学説の批判の意味がよくわからないと書きましたが、この点をいうのかもしれません。つまり、本件の地裁高裁判決を前提とすれば、正社員復帰は再契約を締結することが前提なので、再契約を締結されない場合損害賠償の問題にはなっても地位確認請求はできない、という帰結になるのかと思われます。本件の事案としての処理に影響はないが、確かに本件でXが主張したような停止条件付正社員契約であるというような構成は考えられます。

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2020年6月 4日 (木)

ジャパンビジネスラボ逆転高裁判決の真相①―事案のキーポイントと育休明けに即復帰できない労働者との正社員契約を有期雇用契約に切り替える際の注意点

 ジャパンビジネスラボ事件の逆転高裁判決(東京高判令和元年11月28日・労経速71巻4号3頁。裁判所HP https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/146/089146_hanrei.pdf)のことはニュースで出たときから気になっていました。報道をみるとざっくりとマタハラ企業とマタハラ被害で契約社員にならざるを得なかった哀れな労働者という構図が鮮やかにひっくり返ったようで、理論的な部分よりは事実関係の詳細や事実認定のどの部分がどうひっくり返ったかが気になっていました。一審判決も読んでいなかったのですが、今回検討する機会があり、自分の中ではスッキリしたので、紹介します。

1 キーポイント
 今回地裁高裁の判決文にすべて目を通してみましたが、高裁の事案に対する見立ての方が正しいでしょう。
 労働者側のストーリーは「育休明けに保育園が見つからなかったので、そのままでは復帰できないから契約社員として復帰することに応じたが、復職後すぐに保育園が見つかったので、正社員に戻してくれといったら断られ、様々な嫌がらせを受けた」というものです。ところが、高裁段階で「復職後すぐに保育園が見つかった」というのは嘘だったことが明らかになっています(判決は明確に嘘だとは言っていませんが、実質的にそう言っているのと同じだと思います)。高裁段階に行った弁護士照会でこの事実が明らかになったようですが、高裁はこの弁護士照会を待たずに保育園が見つかったという労働者の供述について信用性に疑いを入れています。とはいえこの新証拠は逆転に際してかなり大きかったと思います。労働者側のストーリーの核心部分が崩れたわけですね。
 高裁の事案に対する見立ては、大雑把に、労働者は真摯に復職のために手を尽くしていたのではなく、法的に正当な手段では目的が達成できないので、(マタハラが問題視される時流に乗って)、衝撃的な録音をマスコミに流したり、紛争中であっても許容できないほどの虚偽(とまで断言しているわけではないですが)の内容の記者会見を行って、自分がマタハラ被害者であることを世間に印象付けようとしたというものでしょう。地裁は正社員契約の継続を認めなかったあたりはそれでも自制的だったとおもいますが、まんまとこの労働者側の作戦にハマってしまった、というのが両判決を読んだ私の印象です。
 ご本人や支援者の方には悪いですが、この事案をマタハラ被害の事例として世間や裁判所に訴えていくのはスジが悪すぎて、かえって自らの首を締めることになりかねいと思います。尊属殺違憲判決事件以前に数度合憲判決が先行していたように、従来の判断の変更とか、先例的な判断とか、政策形成的な判断を得るにはそれに見合った事例が必要です。本件は上告されていますが、この事例でかつ高裁の事実認定を前提に最高裁が破棄をするかは大いに疑問です。もっとも最近の最高裁は読めないところはありますが。

2 育休明けの復職についてどう対応すべきか
 事実認定の詳しい部分は次の記事に譲ることとし、まずは育休明けの復職についていかに対応すべきか、本判決から読み取れることを述べたいと思います。
 本判決のポイントの1つは、育児休業明けにフルタイム勤務できない労働者の正社員契約を有期雇用契約に切り替えて締結することの有効性について比較的緩やかに認めたことにあります。有期契約を切り替えずに正社員契約を維持しつづけたとすれば、子どもの育児がある以上フルタイムで働くのは困難になり、育児休暇はもうとれないのですから、有給や別の休暇で対応するしかありません。しかし限度があり、本来出勤すべきときに出勤できない状態になるでしょう。そうすると、正社員として週5日フルタイムで労務を提供するという労働者の義務を果たせなくなるわけで、いずれは普通解雇・懲戒解雇になるか、それより前に判決が指摘するように任意に退職することにならざるを得ないでしょう。これと比べて有期でも雇用が維持されることは必ずしも不利ではないと考えているのです。この点は地裁判決も本判決もほぼ同じです。
 極論を言えば育休の最長期間を使い果たしてもフルタイムで復帰できるような状態でなければ即解雇(実際もし本当にやるとしたら出勤命令を出して従わないこと多数→懲戒解雇となるので育休明けから少し時間を要することになりますが)とすることも即育介法の明文規定に違反するわけではありません。が、まあ普通はそういうことはしないと思いますので、本件のように「週3の契約社員に切り替えるか、退職にするか」というような話合いを持つことになるでしょう。大企業ならいいですが、中小企業では契約社員に切り替える余地すらない場合もあると思います。実際例えばもし私のような弱小法律事務所でそうなったら本当にこまると思います。一定期間フルタイムで働いてくれる契約社員を確保することを考えなければなりませんが、その場合「週3で勤務されても正直持て余すなあ」ということになりかねません。こういう場合は退職してもらうほかないかと思いますが、こういう事例ですべて「退職の合意は無効」とか「育介法・均等法違反の不利益な取り扱いだ」とされてしまっては多くの中小企業の経営者はたまらないと思います。
 したがって、退職や解雇になるよりはマシとして、この点を重視して有期雇用への切り替えについて真意に基づく同意がありとか育介法・均等法違反や錯誤の否定を行った地裁高裁判決は実質論として妥当だと思います。上記極論のようなことをやれば真意に基づく同意が否定されたり、育介法・均等法違反が認定されることになるでしょう。それで十分バランスがとれています。
 ただし、本判決は「即解雇とせずちゃんと話合いをもって有期に切り替えれば有効」とまで言い切っていると読めるわけではないので、その点はご注意下さい。次の記事で触れると思いますが、下記のとおり育休明けに復帰できないと分かって一旦退職を選択したが、その3日後一転して契約社員での雇用を求めているなどの事情も考慮されています。ただ、私見では仮にこのような事情がなくても有期への切り替えの有効性は認められるべきだと思います。
 本件における使用者側の対応を確認しておきます。本件では休業期間を法律上の最大期間まで延長したところ、さらに労働者から3ヶ月の延長という法律で定められた以上の措置を求められたのですがが、使用者側は拒否し、労働者は一旦は退職の意向を示します。ところが一転して週3日勤務の契約社員として復職を希望する旨を伝えたため、使用者側は約1ヶ月後から一つのクラスを担当させるように調整し、希望どおり契約社員として復職させることとしたのです。そうして現に契約社員として復帰しています。本件の労働者は語学スクールのコーチという講師のような仕事だったのですが、一転復帰を言われた割には正直よく調整したなという印象を持ちます。余談ですが、一旦退職の意向を示した後にすでに補充の正社員の雇用を決めており、他に当該労働者の希望に沿うようなポストを用意できないような事情があれば、契約社員としての復職すら必要でなかったのではないかと思います。

3 学説による批判に対して
 以上に対し、学説からの批判は強いようです。高裁判決の評釈はまだ出てきていないので、地裁判決の評釈をいくつかあたりました。揃って地裁判決が有期契約への切り替えの有効性を認めたことに対し批判的でした。
 実質論としては、要するに将来の正社員復帰を前提に人員配置や一時的な別の非正規雇用で当面労働者がフルタイム勤務できないことを凌ぐことを強いられる会社の負担と正社員という地位の喪失や給与面の待遇低下という不利益を強いられる労働者との利益衡量の問題です。私は2項で書いたように、即解雇というような極端なことをはやらずに、会社側も誠実に調整して当面の雇用形態について妥当な条件を提示すれば足りると考えています。今あらためて各評釈を読み直してみても、批判的な学説が実質論としてそれ以上の何を求めているのかは率直に言ってよくわかりません。例えば「私傷病による休職からの復帰過程において一定の猶予を置くことを求める裁判例の傾向と整合的でない」(石崎由紀子「一審判批」ジュリ1532・107頁)という指摘がありますが、別に一審判決や本判決は「職を失うよりマシだから契約社員として提示する条件は何でもいい」というようなことを言っているわけではないと思います。あるいは「法定の休業期間で復帰できなかった人も、無期正社員であったのだから、無期正社員の地位を失わせるようなことはあってはならない」という趣旨なのでしょうか。そうであればそういう価値判断自体は一応理解できなくはありませんが、そこまでの負担をすくなくとも解釈論で使用者に課すことは反対です。使用者に法律で定められた育児休業期間以上の期間を付与せよというに近いと思います。立法論として育児休業期間のさらなる延長をするなどして対応することは否定はしませんが、保育園の数や質、入園のしやすさなどの知識がまったくないので、その適否を論じるのは私の能力を超えます。
 本件は事案としてかなり特殊です。契約社員として復職し、やがて本当に保育園が見つかり、フルタイム勤務が可能になったところで、少々のタイムラグはあるにしても合意によって正社員に復帰する、本来はこういう経過をたどったはずです。そうならなかったのは本件の労働者の特殊性によるもので、正直学説からの批判はこの事案の特殊性を十分理解していない前提で展開されているように感じてしまいます。

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2019年2月26日 (火)

非正規雇用者に賞与・退職金を支給しないことは違法となるか―同一労働同一賃金ガイドラインと大阪医科大学事件・メトロコマース事件控訴審判決

 最近出た東京・大阪2つの高裁判決による衝撃が走っている。非正規雇用者に賞与と退職金の支給を認めた大阪医科大学事件(大高平成31年2月15日)と、メトロコマース事件(東高平成31年2月21日)の高裁判決である。

 今回の同一労働同一賃金ガイドラインは、究極は非正規という言葉を一掃することを目指すとしている。要するに、究極には正規・非正規という区切りではなく、働いた時間や職務内容の差などによってのみ賃金が異なるという制度を目指すということであろう。この壮大な目標からすれば、確かに賞与や退職金などは正規・非正規という名称を問わず誰にも支給されるべき(あるいはそもそも誰も支給されないべき)ということになるのだろう。
 そうは言ってもこの壮大な目標はまだ遠いものである。ガイドラインはそもそも「通常の労働者と短時間・有期雇用労働者の賃金の決定基準・ルールの相違があるとき」を前提としていないのだが、実際は大半の企業は決定基準等に差異が存在するであろう。ようするに、ガイドラインの基本給の例などは大半はすぐには使えないケースについて示したものなのである。ガイドライン自身もそのことには当然自覚的である。すなわち、「基本給をはじめ、賃金制度の決まり方には様々な要素が組み合わされている場合も多いため、まずは、各事業主において、職務の内容や職務に必要な能力等の内容を明確化するとともに、その職務の内容や職務に必要な能力等の内容と賃金等の待遇との関係を含めた待遇の体系全体を、短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者を含む労使の話合いによって確認し、短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者を含む労使で共有することが肝要である。」としているのである。まずは賃金制度の決まり方を明確化し、労使で共有するところから始めるとしているわけである。

 また、「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会中間報告」(平成28年12月)でも「手当を優先的に」ということが述べられており、周知のとおり、各種手当について個別に不合理性を判断した長澤運輸事件・ハマキョウレックス事件の影響もあって、「同一労働同一賃金はまずは手当の部分をしっかり対応しよう!」との雰囲気が、逆に言えば、「基本給その他は、まず賃金決定要素をはっきりさせることからはじめて、具体的な制度改革は後回しでいいよね」という暗黙の認識があったような気がする。そもそも退職金については、ガイドラインの個別項目には上げられておらず、「この指針に原則となる考え方が示されていない退職手当 、住宅手当、家族手当等の待遇や、具体例に該当しない場合についても、不合理と認められる待遇の相違の解消等が求められる」と記載されていた程度であったのである。

 というわけで、個人的には「非正規を一掃っていうなら賞与や退職金は不支給ってわけにはいかないだろうけど、すぐには変わらないだろうなあ。裁判例もそれこそ大阪医科大学・メトロコマースの一審判決のように格差は不合理ではないという判断が当面はつづくだろうな」と思っていた。
 それを見事に裏切ってくれたのが両判決の判断である。
 まだ判決原文を見ていないから、不確かな部分が多い。いくつか気になる点がある。
 ① メトロコマースの高裁判決は賞与について不合理性は認めていないこと(ただし、夏冬各12万、年24万円は支給されていた事案)。その理屈はどうか。
 ② メトロコマースが退職金を正社員の約4分の1、大阪医科大学時間が賞与を正社員の6割を支給すべきとした論理、考慮要素(表面に出てこない部分も含め)
 ③ 両事件の一審判決は、大まかには「採用基準も、配転の範囲も異なり、また正社員に登用されることもある」という要素から退職金・賞与の格差は不合理とまでは言えないとしたが、このあたりがどう判示されているか。

特に、③の点は、上記ガイドライン(注)の解釈に関わると見ている。すなわち、ガイドラインの(注)によると、「通常の労働者と短時間・有期雇用労働者の賃金の決定基準・ルールの相違があるとき」は「通常の労働者と短時間・有期雇用労働者との間で将来の役割期待が異なるため、賃金の決定基準・ルールが異なる」等の主観的又は抽象的な説明では足り」ないとされている。両事件の地裁判決程度の判示ならば「主観的又は抽象的な説明」には該当しないと考えていたが、仮にこの部分の判断も変わっているとすれば、抽象的な説明か否かのメルクマールを示すことになりそうである。

さて、同一労働同一賃金が導入される背景として、従来非正規雇用者は主婦や学生という家計の担い手ではないパートが多かったのが、最近では家計の担い手が非正規雇用となる例が増えてきており、日本型雇用に守られた「正社員」のメンバーシップの恩恵を受けられる者と、非正規のままで恩恵に与れないものの二分化が進んでいる。「非正規という言葉の一掃」とは特に後者の意味の非正規雇用者の一掃を意図すると考えられる。
今回のガイドラインの大きな問題として、個人的には①大多数の会社が正規と非正規で異なる賃金の決定基準・ルールを採用しているのに、ガイドライン本体は「同じルールを採用している」という非現実的な前提をもとに作成されている、②手当や福利厚生の均等・均衡化というのは、非正規雇用者の一掃という目標からすれば本質から外れる部分なのに、やけにこちらに力点が多い、ということを感じていた。

大阪医科大学・東京メトロコマースの2判例はあるいは②で述べた本質に切り込むことを意図しているのかもしれない。

なお、認容された退職金や賞与は一人あたり東京メトロコマース事件が50万円弱(退職金)、大阪医科大学事件が約110万円(賞与)である。個々の事件としては大した額ではない。しかし、制度変更するとすればとてつもない多額になる。

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2019年2月16日 (土)

継続雇用制度の下ではどれほど賃金水準を下げられるのか―トヨタ自動車事件・九州惣菜事件・京王バス継続雇用事件(2)

 「どれほど賃金水準を下げられるのか」というタイトルをつけておきながら恐縮であるが、本来「どれほど労働条件を変更できるのか」とすべきであったかもしれない。

 さて、この記事を書くきっかけになった京王バス事件についてである。
 事案は、バス会社において65歳の定年後再雇用時に「継匠社員」という正社員バス運転手と「再雇用社員」という車両清掃を業務とするパートタイマーの2つの制度を設けていた。バス運転手として定年まで勤務した原告ら3名は「継匠社員」での勤務を希望したが、「継匠社員」採用の選考基準を満たさなかったため、会社側は「再雇用社員」としての雇用を申し込んだため、原告らがこれを不満として「継匠社員」としての地位確認等を求めたものである。「継匠社員」の基本給は19万5000円、原告の主張によれば賞与は年間40万円~60万円程度である。「再雇用社員」は時給1000円で週3日8時間勤務で、月給実績は概ね10万円弱、賞与は10万円を年3回30万円である。
 なお、原告らいずれもは京王バスの新労組(非主流で会社に対立的)な組合の幹部であった。

 前回の記事で述べたように、賃金と職種と分けて考え、賃金についてはトヨタ自動車事件同様に「無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準」を採用するのであれば、到底容認できないような低額な給与水準とは言えないであろう。年収150万円弱は、トヨタ自動車事件の原告を上回っている。なお、京王バス事件では定年前の給与水準との比較は問題とされていないためは不明であるが、トヨタ自動車事件は970万円という高額であった。蛇足であるが、京王バス事件では労働条件について「度重なる労使協議を経て,被告らの当初提案につき修正を重ね」再雇用社員の賃金について,被告らの当初提案は,時給を900円,賞与を不支給とするものであったが,労使協議の結果,時給が1000円,賞与は年間30万円となった」と認定されている。

 職種については、労働政策審議会の平成16年1月20日「今後の高齢者雇用対策について」との建議で、「65歳までの雇用確保の方法については個々の企業の実情に応じた対応がとれるようにするべき」としていたことと「平成24年改正後の同法9条2項も,継続雇用制度には特殊関係事業主との間における労働契約の締結が含まれる旨を定めており,継続雇用制度において定年前と異なる労働条件を採用することを当然に想定しているものと解されること」を理由に「個々の事業主の実情に応じた多様かつ柔軟な措置が許容」されると判断している(但し、高年法9条1項は私法的効力を持たないという文脈)。前回の記事で、私が再雇用時の職種については労使の協議に委ねるべきとした理由と酷似している。
 京王バス事件の判断はトヨタ自動車事件と九州惣菜事件の判断とは矛盾しているといえるのではないか。トヨタ自動車事件や九州惣菜事件事件が定年前の職務との同質性とか継続性を要求した理屈には無理があり、批判が多い。事案の中身としてもトヨタ自動車事件にかなり似ていると言えるので、結論が異なる本件は新判断と言っていいと思う。
 東京地裁労働部が批判の多かった2つの高裁判決に反してこのような判断をしたことは大いに意味があり、今後は京王バス事件の方が主流になりそうである。
 
 この判決の報道(例えば、http://news.line.me/articles/oa-bengo4com/d933e9101c5d)に接した際は、「いかにも露骨な組合つぶしっぽいけど、どうやって使用者側が勝訴したのか」というのが第一の疑問だった。
 報道に現れていなかった事実としては、「継匠社員」への選考基準は直近5年「わずか10%程度の社員しか取ることのない最低評価を,定年前直近の5年間の評価期間中3年間以上にわたって取らないよう求めるものにすぎない」ものであったこと、そして原告らは5年連続最低評価を取った主な理由は肉声マイク放送や会社の増務に応じていなかったことが上げられる。肉声マイク放送の拒否や増務要請の拒否は原告らの属する新労組の方針であったようだが、新労組組合員の中でもこれに応じて「継匠社員」として再雇用されたものもいるようである。判決では肉声マイク放送や増務要請に応じることの合理性についてもかなりの紙面が割かれているが、一見して不合理なものでない限り労働者は使用者の指揮命令に従うべきであって、会社の方針が変わるまでは服するべきであろう。

 京王バス事件を、労働条件の決定について労使協議が十分になされていたことを重視したとの読み方も可能であるかもしれない。たしかに判決は「再雇用社員制度に係る労使交渉の経緯等も踏まえれば,原告ら主張の諸点をもって再雇用社員制度が継続雇用制度に当たらないとみることはできない」と述べている。原告は「再雇用社員」は,職種変更や賃金の低額化の面から高年法の趣旨に反するので、高年法が予定する継続雇用制度に当たらないという趣旨の主張をしていたのに対応するものである。が、この主張はいかにも無理筋であって、「労使協議が十分になされていた」ことが決定打ではない、まして本件のように賃金について協議の結果上方修正されたことを要件とするような趣旨ではないと思われる。もっとも、労使の協議を十分にすべきはそもそも当然であるし(最終的に妥結を見ないこともあるだろうが、それはやむを得ない)、少なくとも再雇用制度における労働条件の合理性を支える一つの要素になることは間違いない。

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2019年2月15日 (金)

継続雇用制度のではどれほど賃金水準を下げられるのか―トヨタ自動車事件・九州惣菜事件・京王バス継続雇用事件(1)

 高年法9条1項が定年廃止、65歳までの延長、又は65歳までの継続雇用制度の導入を企業に義務付けているのは周知のとおりである。継続雇用制度においても、現在は希望者全員を再雇用することが求められている。
 そうなると企業が気になるのは、再雇用時の条件―特に賃金―をどうしたらよいのか、ということである。企業にとって必要な人材はなるべくフルタイムで働かせたいし、そうでない人材はできればお引取り願いたい―が、高年法違反もできないからできれば従来より低い条件で再雇用したい、というインセンティブが働いてしまうことは自然といっていいだろう(もちろん、その是非についてここで云々するものではない)。
 となると、次に問題なのは、どのくらい低い条件にしていいのか、ということである。例えば週1時間の勤務で、時給1000円という条件で再雇用するという制度は後年法9条の趣旨に反することは明らかであろう。どの条件でラインを引くのか、またライン以下の不合理な「継続雇用制度」に対してはどのような救済があるのか―行政指導等による是正の対象になりうるのみか、民事的な損害賠償やあるいは本来ありうるべき合理的な条件の労働者としての地位確認などより強い救済まで認められるか―という点は継続雇用制度における重要な論点である。
 この重要な論点について、実は法律上はもちろん、通達等でも明確にされていない。厚生労働省の「高年齢者雇用安定法Q&A(高年齢者雇用確保措置関係)」においては、「Q1-4: 継続雇用制度について、定年退職者を継続雇用するにあたり、いわゆる嘱託やパートなど、従来の労働条件を変更する形で雇用することは可能ですか。」「A1-4: 継続雇用後の労働条件については、高年齢者の安定した雇用を確保するという高年齢者雇用安定法の趣旨を踏まえたものであれば、最低賃金などの雇用に関するルールの範囲内で、フルタイム、パートタイムなどの労働時間、賃金、待遇などに関して、事業主と労働者の間で決めることができます。」とされており、要するに使用者と労働者との合意に委ねられるとされている。

 この論点が問題となった事案の代表例としては長澤運輸事件がある。有名すぎるので詳細は割愛するが、正社員と勤務時間・内容が変わらない前提で再雇用時の賃金が定年前の80%程度になったという事案について、定年後再雇用であることを労契法20条の「その他の事情」にあたるとして、違法でない、としたものである。この事案は定年前と定年後の勤務時間・内容が変わらなかったため、労契法20条の問題とすることができた。しかし、定年前後で勤務時間・内容が変化する場合は労契法20条の問題とすることはできず、後年法9条1項の趣旨を没却するかどうかがストレートに問題となる。

 条件の引下げ(変更)という意味では、賃金水準の引下げと、職務内容の変更に分けられるであろう。私見は双方について基本的に労使の合意に委ね、大幅な裁量が認められるべきでないか、これに反するトヨタ自動車事件・九州惣菜事件の判示は誤っているというものである。

 賃金水準の引下げという問題に関しては、トヨタ自動車事件(名高平成28年9月28日・労判1146号22頁・労経速2300号3頁)は「定年後の継続雇用としてどのような労働条件を提示するかについては一定の裁量があるとしても、提示した労働条件が、無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準であったり、社会通念に照らし当該労働者にとって到底受け入れ難いような職務内容を提示するなど実質的に継続雇用の機会を与えたとは認められない場合においては、当該事業者の対応は改正高年法の趣旨に明らかに反するもの」という一般論を述べている。具体的な当てはめにおいても、約970万円という年収が約127万円まで約13%に低下する事例であったが、老齢厚生年金の報酬比例部分(148万7500円)の約85%の収入が得られることを認定し、到底容認できないような賃金水準ではないとしている。
 給与水準については、平成24年改正高年法が、使用者が再雇用の対象者を限定する基準を設けることを段階的に廃止した趣旨が、年金支給開始年齢が段階的に引き上げられることにより無年金・無収入となる者が生じる可能性があり、「雇用と年金の接続」をする必要性にある(厚労省『「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律」の概要』)ことからすれば、トヨタ自動車事件のように「無年金・無収入の期間の発生を防ぐという趣旨に照らして到底容認できないような低額の給与水準」という点に基準を置くのは妥当である。このことをやや雑にであるが、わかりやすくいうと「もともと年金支給開始年齢を引き上げるかわりに、継続雇用継続という形で企業に年金分の負担を押し付けたものだから、年金が出ていた場合と同程度の収入が維持できていればいいよ」というようなものである。
 このように考えるならば、九州惣菜事件(福岡高判平成29年9月7日・労経速2347号3頁、労働判例1167号49頁)では定年前は月収ベースで33万5500円であったところ、定年後は8万6400円で再雇用時は定年前の約25%相当に、時給換算で定年前1944円あったところ、本件提案によれば900円と半額に満たないというものであったが、トヨタ事件同様に到底容認できない水準とは言えないと思われる。京王バス事件(東地平成30年9月20日・労経速2366号3頁)も継続雇用給付金を入れて月収ベースで約10万円程度は確保されていたようなので、同様であろう。

 次に職種変更の問題である。トヨタ自動車事件は事務職であった従業員を同じ部署の清掃業務等の業務で再雇用すると提案した事案である。京王バス事件もバス運転手であった従業員をバス清掃業務で再雇用すると提案した事案である。九州惣菜事件は職種には大きな変更はなかった。
 トヨタ自動車事件は「(定年前と定年後の職種)が全く別個の職種に属するなど性質の異なったものである場合には、もはや継続雇用の実質を欠いており、むしろ通常解雇と新規採用の複合行為というほかないから、従前の職種全般について適格性を欠くなど通常解雇を相当とする事情がない限り、そのような業務内容を提示することは許されないと解すべきである」として職種変更を違法としている。九州惣菜事件も定年後再雇用制度においては「労働条件に継続性・連続性があることが前提」とされていることを根拠に、定年前後の職務内容に「継続性・連続性」が要求されるとしている(結論的には賃金水準の格差から継続性・連続性がないとして損害賠償請求を認めている)。京王バス事件は職種変更の問題について直接判断をしていないが、正社員のバス運転手である「継匠社員」として再雇用される条件とバス清掃を業務とする再雇用社員として再雇用される条件に客観性があること、現に従業員が「継匠社員」として再雇用される条件を満たしていないこと、再雇用制度とその際の賃金制度については度重なる労使協議の上で決められたことなどを重視して、職種変更について違法とは判断していない。
 高年法9条2項が実質的な支配関係のある特殊関係事業主における再雇用の確保を認めていることから、法は労働条件の継続性・連続性が要求されない場合を想定していると言える。また、厚労省による上記Q&Aによれば、海外子会社での再雇用でも法の趣旨を踏まえた裁量の範囲内であれば可能であるとされてもいる(A5-7)。そもそも配転により他の職種に転換することは就業規則等で規定されていれば可能なのであって、労働条件の継続性・連続性が要求されているとは当然には言えない。「業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合がない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではない」(東亜ペイント事件・最判昭61年7月14日・労判477号6頁)のである。従って、再雇用者をどのような職種で採用するかも、基本的に労使の合意に委ねられていると解するのが相当であろう。
 トヨタ自動車事件や京王バス事件は他にそのような職種転換を前提とする申込みを受けた従業員が(おそらく)いないであろうこと、トヨタ事件においては同一の部署での清掃業務を提示したことなどを重視し、一種の嫌がらせであると踏み込んで認定する余地が仮にあるとすれば裁判例の結論自体を維持することは可能かもしれない。

 もともと本日送付された労経速で京王バス事件(もっとも同誌上は「K社事件」とされているが)の全文が掲載されてきたことからこの記事をまとめようとおもったのだが、その点は後半に委ねたい。

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2016年11月20日 (日)

山梨県民信用組合事件最高裁判決(2)-労働条件の不利益変更に与える影響

1 前回は民法・民訴法に関する問題、しかも(私の苦手な)かなり抽象度の高い問題を扱ったので、今回は具体的に本判決が実務に与える影響と、事案の分析をしてみようと思う。

2 結論から述べれば、本判決をあまり気にしすぎることはないと思う。
 本判決が同意の認定について課した厳しい要件は、同意がない場合の就業規則の不利益変更(労契法9,10条)における合理性と大部分が重なっている。逆説的だが、同意のない不利益変更でも合理性が認められるような場合であって初めて、同意の有効性が認められるということになる。
 労働条件の不利益変更を考える場合、実務家は「全員同意を得られるとは限られない」から、内容面で労契法10条の合理性が認められるようにまず設計をする。その上で労組等との交渉を経て、修正を行ったり、必要な情報を開示するなどして、手続面での合理性も確保する。変更についての合理性を十分に説明して、全労働者の合意を取得するように努力するが、それでも同意が取れない場合はその労働者については諦め、後日就業規則の不利益変更について合理性が認められるかどうかの判断に委ねる。
 以上のような経過をたどるため、労働条件の不利益変更というのは、就業規則の不利益変更として10条の合理性が認められるように設計し、個別同意はいわば合理性が否定された場合のために念のためにとる位置づけである。いわばマトモな不利益変更であれば、十分な合理性があるために同意は有効になるであろうし、仮に同意がなくても10条の方で有効になるであろうということだ。
 例えば例のマタハラ最高裁事件で問題となったような個別労働者の労働条件の不利益変更については、就業規則の不利益変更では対応できない。このような場合、今まで「なんとかその人を丸め込んで同意をとってしまってよい」と考えていたとすれば、今後そのような姿勢は改めなければならない。

3 同意による労働条件の変更が避けられない場合―本件のような合併など
 通常、労働条件の不利益変更は、就業規則の変更で対応する。しかし、本件のような合併にともなう不利益変更については確かに悠長に組合と協議している余裕がない。なぜなら、例えば本件では吸収される信用金庫側は退職金の大幅減額について労働者の同意を取り付けないと合併契約を拒否され、破綻やむなしになるという状況であったからである。
 最高裁の判示は、就業規則の不利益変更で対応できる場合と、そうでない場合とを分けない一般的なものになっている。合併の際におけるこのような要素は「合意」の認定における「不利益の内容及び程度」として十分に考慮されなければならない。最高裁は退職金額が大幅減額になることにのみ着目しているように見えるが、「大幅減額に同意しなくば合併は困難で、労働者は職を失う危険もあった」ということを十分に考慮すべきであろう。

4 事案の分析(吸収される側をA、する側をBとする)
(1) 本件では、平成15年の変更(本件基準変更)と平成16年基準変更の2つがある。ここでは前者の部分だけとりあげる。
(2) 重要なのは、12月13日の職員説明会における説明内容である(労働者はその後12月20日に本件同意書を署名押印している)。
  12月13日には、「A職員の支給基準に合わせ、これと同一水準を保障する」と記載された同意書案が配布された。他方で基準変更後の退職金の計算方法の説明があった。基準変更後の支給額は退職金総額を1/2とし、従来基準では別途支給だった厚生・企業年金を控除して支給するというものであり、大幅減額である。つまり同意書案の「同一水準を保障する」というのは非常に紛らわしいものである。なぜこのような紛らわしいものを配布したかについては、別に労働者を騙そう、あるいは不利益が少ないと感じさせようという悪気はなかったものと思われる(詳細は省略するが、同意書案は11月に社労士が作成しており、その後AとBの退職金基準の違い等についてBから問題提起があり、基準変更の大枠がきまったという経緯がある)。
  原告側は12月13日の説明会では新基準の説明はなく、20日に「合併のために必要だから」と迫られて、本件同意書の内容を読まずに署名押印したというストーリーを立てている。しかし、これはさすがに無理がありすぎたと見え、幾人かの原告は陳述書では新基準の内容を認識していたと述べていたのを、法廷では「(本件同意書は)読まなかった」と供述を変転させている。
 なお、原告は退職金一覧表を示されたこと、希望者に交付されたことも否定している。判決文からは十分伺い知ることができないが、仮にそうであるとすれば12月13日の説明会の内容は、退職金の大幅減額が決まっていたにもかかわらず「従来と同一水準を維持する」というスカスカの内容であったはずで、労働者側から具体的な説明を求めざるをえない状況になる。おそらく、このあたりについて陳述書や法廷供述に具体性がなかったのだろう。
 退職金一覧表は民集の一審判決に添付されている。パッと見どうなるかはわかりにくいが、「平成14年12月31日B自己都合退職金」欄が現時点での退職金額、末尾のA要引当額がAが退職金として引当てを要する額≒本件基準変更後Aにとどまった場合にAから支給される額である。確かにこの表を比較すれば、1300万円くらいの退職金であったのが、軒並み100万円以下になっている。退職金一覧表の交付を受けた労働者としては、必死でこの事実を理解し(理解できなかったら問いただしているだろう)愕然としたに違いない。
(3) こうして見てみると、労働者が13日に紛らわしい同意書を配られたからといって、「退職金はほとんど従前どおり保障される」と誤解していたとは理解しがたい。破棄差戻しであり、差戻審では「合併不成立による不利益」や「同意書によって誤解は生じていなかったこと」などの事実関係が問題になるだろう。

5 最高裁の判断に思うこと
 それにしても、事例としては、前回述べた弁論主義違反の点を含めて、「この事例で破棄差戻しかなあ」と思う。あるいは最高裁はマタハラ事件との流れで、労働者保護のための一般論を示したがっているのかもしれない。それにしても、この事案でやるとすれば無理があり、やるにしても上告棄却等にしたうえで、一般論を示せばよかったのではないか。

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2016年11月19日 (土)

山梨県民信用組合事件最高裁判決(1)-民法学者と民訴法学者も議論すべきでは

1 山梨県民信用組合事件判決(最判H28.2.19)について、いろいろ語られているところではあるが、私は労働判例としてではなく、民法判例・民訴法判例として気になるところをまず指摘してみたい。もちろん、民法上の問題も民訴法上の問題も私には手に余るものなので、議論のきっかけにでもなれば良いと思う。労働法にまつわる問題は、簡単に次回指摘しようかと思う。
   事案は、関連する部分についてのみ大雑把にいうと、経営危機にともなう吸収合併にともない、吸収される側の労働者の退職金が大幅減額となることについて労働者が同意書を提出していたところ、労働者側が同意の無効を主張して、従来の基準による退職金の支払を求めたものである。最高裁は後述のような判示をし、同意の成否について再度審理させるため、破棄差戻した。

2 意思表示理論との関係-最高裁は表示意思不要説を採用したのか?
(1) 最高裁は「使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には,当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても,労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており,自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば,当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく,当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると,就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については,当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく,当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも,判断されるべきものと解するのが相当である」と言っている。
(2) この判示の理解は容易ではない。
 この判示によると「受け入れる旨の労働者の行為」の法的な位置づけはどうなるのであろうか。最高裁は、意思表示とは捉えていないのだろうか。それとも労契法8条の「合意」について、意思表示ではなく、一種特殊な要件を要求したものと見ているのだろうか。
(3) 本件では、退職金に関する不利益変更について「本件同意書」という同意書が存在しており、その「署名押印がその原告らのものであることについては争いがない。また原告らの署名押印がその意思によるものであること,そしてこれが,本件基準変更に同意する旨の各原告らの意思表示としてなされたものであることも,同様に争いはない」(一審判決)。
 すなわち、契約書に類する処分証書(らしき物)が存在し、その成立の真正について争いがないのである。今回の最高裁の判示は、抽象的に言えば、売買契約書があり、その成立の真正について当事者に争いがないにもかかわらず、売買契約の成立を否定したようなものである。
 普通、このような事案について多くの弁護士・裁判官は「同意は有効で、錯誤、詐欺、心裡留保等の抗弁の問題だ」と考えるのではなかろうか。
 一審判決(高裁判決もほぼ踏襲)も、おそらく本件の原被告もそう考えていたと思われる。一審判決の主張整理によれば、原告は「管理職原告らの本件合併同意書への署名押印は,真意に基づくものではなく,意思表示は無効である。」と主張している。しかし、「法的根拠が明らかでないと言わざるを得ず,容認できない。意思表示の瑕疵は,心裡留保,錯誤,詐欺・強迫など民法所定の事由によるほかには存在し得ないはずである」と一蹴されている。原告も本気の主張ではなかったのであろう。
(4) 意思表示について、いわゆる表示意思不要説が通説であり、立法実務でもそうではないかと思う。電子契約法では誤クリックのような操作ミス(まさに表示意思がない場合)も契約が成立し、錯誤の問題となると捉えた上で、重過失の要件を修正している。表示意思不要説からすれば、「真意に基づくものでない」との主張は錯誤等の問題にしかならないであろう。
 表示意思不要説に立って「本件同意書への署名押印は表示行為ではない」と説明することもまったく不可能ではない(榎本光宏「契約書の実質的証拠力について―処分証書とは― 」判タ1410-27参照)。ただ、税金対策のために仮想された契約書のようなものではない本件では、「表示行為ではないのだ」という説明は無理があるように思う。
 表示意思必要説も有力ではある。実際、実務では表示主義が厳格に貫かれているわけではないようである(榎本前掲28頁、河村浩「契約書(処分証書)による事実認定の証明のプロセス-いわゆる保証否認の事案を念頭において」判タ1101-60)。
(5) 結局、最高裁が「本件同意書への署名押印」を意思表示と見なかったとすれば、表示意思必要説に立ったとしか捉えられないように思える。そうであれば、最高裁レベルとして表示意思必要説に立ったと見える判例として重大な意義があるはずである。これまでの立法実務とも異なっているのである。
(6) なお、本件最判が引用していたシンガー・ソーイングメシーン・カンパニー事件(最判s48.1.19)では、「いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する」旨の書面が差し入れられていた事案である。最高裁は「右意思表示の効力を肯定するには、それが上告人の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないものと解すべきである」と判示しているから、退職金放棄(実質的には相殺)の意思表示の有効無効の問題と捉えていることはあきらかである。すでに表示意思必要説に立ち、書面の記載だけでは意思表示と認められないという理解をしているとの評価も可能であると思うが、結論として書面どおりの意思表示の効力を認めている点で本件とは異なっている。

3 労契法8条の「合意」が意思表示ではなく一種特殊な要件であるとの説明
(1) 最高裁は労契法8条の「合意」について、意思表示ではなく、「受け入れる行為」+αの要件という一種特殊な要件を定めたものと捉えれることも不可能ではない。
   つまり、労契法8条の「合意」を規範的要件と考え、①当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無、②当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,③労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,④当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等が評価根拠(障碍)事実であるしたと捉えるのである。
(2) しかし、これはいかにも技巧的に過ぎる気がする。「合意」を規範的要件ととらえている条文を他に知らない。意思表示的(「的」というのは「合意」を規範的要件ととられれば、不利益変更を承諾する旨の「意思表示」は法律効果の発生に向けられたと言っていいのか疑問があるため)な要素以外のものが「合意」の内容に含まれると解するのは字義として困難ではないか。

4 結局は合意の成立を前提とした、詐欺や錯誤の問題ではないのか
 最高裁が破棄差戻しした実質的な理由は、退職金が半額になりかつ別途支給されるはずだった厚生・企業年金給付額を差し引くとされるなど不利益の幅が大きかったにもかかわらず、同意書署名押印に先立つ同意書案には「従来と同一水準の退職金を保障する」と誤解を招くような記載があり、その誤解を払拭させるほどの十分な説明を会社がしていないという点にある。
 これは、理論的には会社に悪気があれば詐欺、悪気がなければ錯誤、あるいは悪気の有無をとわず説明義務違反と位置づければよかったのではないか。特に説明義務違反による解決は過失相殺があるので、おそらく悪気のなかったであろう本件のような事案の解決にも馴染むのではないかと思う。
 最高裁としては、錯誤の認定を緩やかにすることでも解決できたのではないか。例えば、「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の意思表示については、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度,労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様,当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして,労働者の同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると認められない場合は、錯誤として無効となると解すべきである」としてもよかったように思う。最高裁がそうできない一つの理由は、おそらく本件がいわゆる動機の錯誤にあたるからだが、「不利益が大きくない」等の動機が黙示に表示されていたと考えればなんとかなる。すこし話はずれるが、いい加減、動機の錯誤や表示行為の錯誤といった伝統的な意思表示のドグマから決別できないものだろうか。

5 弁論主義違反の可能性―民訴法の観点から
 一審判決の認定どおり、本件基準変更について同意の意思表示があったことについては当事者間について争いがなく、かつ労契法8条の「合意」を意思表示の有無の問題だとするならば、弁論主義違反の疑いがあるとおもう。争いがないと思われていた合意の成立自体を否定した最高裁判決は、会社にとって寝耳に水で、不意打ちであろう。

 以上、後半は尻切れトンボのような感もあるが、また折にふれて考えてみたい。

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2016年10月13日 (木)

長澤運輸事件(高年法にもとづく再雇用)と実務上の影響―使用者は慌てなくてよい?

 長澤運輸事件の地裁判決(東地H28.5.13)の事案、判示、インパクトは既に多く語られているところです。評釈等をあたって、気になった点をいくつか指摘します。

1 事案のポイント
 周知のとおり、本件は定年後再雇用時の賃金が、実質的な勤務内容は同一であるにもかかわらず、定年直前の約8割(但し、会社側の主張)に減額されたというものです。法的な問題を措くと、裁判所は「新入社員より安く、かつ経験豊富な良質の労働力を得る手段として、再雇用制度を使った」と見た事案ではないかと思います。ちょっと長くなりますが、判示を引用すると次のとおりです。
 「被告における正社員の賃金体系は,基本給に年功的要素が取り入れられているものの,そのほかの賃金項目については,基本給の違いが金額に反映されることとなる超勤手当を別にすれば,勤続年数や年齢による違いがなく,基本給が最も低くなる在籍1年目で20歳以下の従業員(在籍給8万9100円,年齢給ゼロ円)と,これが最も高くなる在籍41年目以上で50歳以上の従業員(在籍給12万1100円,年齢給6000円)との間の賃金水準の相違は,月例賃金が3万8000円,賞与(基本給の5か月分)が19万円(3万8000円×5か月)であり,年間64万6000円程度の差にとどまる。翻って,本件請求に係る期間について,原告らが正社員であったとした場合に支給されるべき賃金と原告らに実際に支給された賃金との差額は,別紙2から4まで(請求債権目録)に記載のとおりであり,原告らに対する賃金の引下げは,超勤手当を考慮しなくとも,年間64万6000円を大幅に上回る規模であることが明らかである。加えて,正社員の場合には,勤続するにつれて基本給が増額され,3年以上勤務すれば退職金が支給されるのに対し,嘱託社員の場合には,勤続しても基本賃金その他の賃金の額に変動はなく,退職金が支給されることもないのである。これらの事情に鑑みると,被告としては,定年退職者を再雇用して正社員と同じ業務に従事させるほうが,新規に正社員を雇用するよりも賃金コストを抑えることができるということになるから,被告における定年後再雇用制度は,賃金コスト圧縮の手段としての側面を有していると評価されてもやむを得ないものというべきである。そして,被告において上記のような賃金コスト圧縮を行わなければならないような財務状況ないし経営伏況に置かれていたことを認めるべき証拠はな」い。
 事案としては、この部分を見ると「なるほど、これは何らかの救済があってしかるべきかな」と個人的には思います。本件、会社は定年後の賃金を下げるにあたり、労組と団体交渉を行っていますが、その段階では弁護士がついていなかったのでしょうか。訴訟では経営法曹の有名な先生がついておられますが、団体交渉段階でついておられれば、もうちょっと穏当な方法、つまりパートタイム勤務するなど、職務の内容や配置の変更範囲に差をつけることを考えたのではないかと思います。

2 使用者は慌てる必要はないのではないか
 判旨における法的判断の問題点は多くありますが、特に重要なのはA職務の内容と当該職務の内容及び配置変更の範囲が同一なら、特段の事情がない限り有期契約者と無期契約者との賃金額の差はその程度をとわず不合理と推定される、B嘱託社員の就業規則は無効で、正社員の賃金規定が適用される、の2点かと思います。非常に問題ある判示で、控訴審・最高裁で少なくともこの一般論は覆される可能性がかなりあると予想しています。
 しかし、万一一般論が覆らなかったとしても、使用者はそんなに慌てる必要はないのではないかと考えています。この判決も「賃金コストの無制限な増大を回避しつつ定年到達者の雇用を確保するため,定年後継続雇用者の賃金を定年前から引き下げることそれ自体には合理性が認められるというべきである。」「本件における事実関係のもとでは,本件有期労働契約が,定年退職者との間で,高年齢者雇用安定法に基づく高年齢者雇用確保措置として締結されたものであったとの事実をもって,直ちに前記特段の事情があると認めることはできないというべきである」と言っています。上記Aは労契法20条全般について事実上の推定を行っているわけですが、再雇用制度においては特段の事情が認められやすい、このように捉えることが可能です。本件は、①一般に職務の内容等が同一なら賃金格差は不合理だと推定される、②定年後の再雇用制度については推定を覆す特段の事情が認められやすい、③しかし本件は新入社員よりも安い、減額が必要な経営状況にもないから特段の事情がない、こういう判断構造であったという理解は不可能でないようにも思います(②がかなり強引な読み方であることは承知していますが)。
 長澤運輸事件判決を受けて、「賃金格差をつけるなら職務内容や配置変更の範囲などに差をつけておいたほうがいい」と慌てて対応する向きがあるやもしれません。しかし、本件のように「新入社員より安く、かつ経験豊富な良質の労働力を得る手段として、再雇用制度を使った」と、見られるような事情がなければ、再雇用制度においては上記特段の事情はあるのだという理解を前提に、当面現状維持してもかまわないように思います。

3 専修大学事件との類似性
 この判決を見て思ったのが、①結局労働者のためになるの(上記のとおり再雇用をパートにして労働時間を圧縮することで賃金に差をつけるなど、抜け道は多く、却って不十分な雇用条件の再雇用者が増える懸念がある)、②それに伴い定年後再雇用者向けの就業規則を不利益変更する必要に迫られる会社が増えて実務が混乱する、という感じで、最高裁で覆された専修大学事件(http://erlang.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-8e87.html)と同じような構造の問題があるなあと思いました。事案としては一定の救済が必要であることは理解できますが、もう少し実務が混乱しないような判断はできなかったものか(例えば、上述の推定はなしにして、単に諸事情を総合考慮して不合理と判断するとか)などと思ってしまいます。

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2015年6月16日 (火)

専修大学事件最高裁判決について

 このブログでも1審、2審判決を取り上げた専修大学事件ですが、最高裁で逆転判決が出ました。
 改めて指摘するまでもありませんが、この判決の一番の意義は、使用者側が法定外補償の制度を改廃せずにすみ、就業規則の不利益変更に伴う実務上の混乱が生じなくてすむことになったという部分です。1,2審判決は、一見解雇を制限して労働者を保護するようで、今後使用者に法定外補償の導入を控えさせ、あるいは廃止させることによって、結局は保護にならないという問題点を抱えていました。
 判決文の上には現れませんが、おそらくこのような点を最高裁も考慮していると思われます。
 最高裁の結論は次に引用する部分のとおりで、1,2審と異なり、労災保険法上の療養補償給付を受ける労働者も、労基法75条の規定によって補償を受ける労働者に含まれる、というものです。
「労災保険法12条の8第1項1号の療養補償給付を受ける労働者は,解雇制限に関する労働基準法19条1項の適用に関しては,同項ただし書が打切補償の根拠規定として掲げる同法81条にいう同法75条の規定によって補償を受ける労働者に含まれるものとみるのが相当である。」
 その理由をざっくり述べれば、次の2点です。①が形式論、②が実質論にあたります。
 ① 労災保険制度は労基法上の災害補償義務に代わるものであるから、労基法上の災害補償給付(=使用者が自腹を切っている場合)と取り扱いを別異にすべきでない。
 ② 打切補償の支払により解雇を認めても、当該労働者は傷害又は疾病が治るまでの間は労災保険法に基づき必要な療養補償給付がされるから、保護に欠けることはない。
 面白いのは、下記のとおり整理した一審、高裁の理由付けには触れられてもいない点です。なお、1,2審は労災保険給付制度と、労基法上の災害補償制度の別個独立性というのも強調していたのですが、率直にいえばどうでもいい話だと思っています。独立と捉えようが、最高裁のように代替的、補完的と考えようが直ちに本論点に関する結論が出るわけではないからです。
 a 労災保険法上の給付が行われている場合、使用者の負担はないから、補償の長期化による負担から使用者を開放する必要はない。社会保険料の負担程度は甘受されるべきである。
 b 傷病補償年金の受給者は職場復帰の可能性がないが、他方療養補償給付の受給者は職場復帰の可能性があり、雇用関係維持の必要性がある。だから文理解釈に反してまで解雇制限の解除の適用を認めるべきでない。
 念のため、上記①②に従い、判旨を引用すると次のとおりです。
①「労災保険法に基づく保険給付の実質は,使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式で行うものであると解するのが相当である(最高裁昭和50年(オ)第621号同52年10月25日第三小法廷判決・民集31巻6号836頁 参照)。このように,労災保険法12条の8第1項1号から5号までに定める各保険給付は,これらに対応する労働基準法上の災害補償に代わるものということができる。
 労働基準法81条の定める打切補償の制度は,使用者において,相当額の補償を行うことにより,以後の災害補償を打ち切ることができるものとするとともに,同法19条1項ただし書においてこれを同項本文の解雇制限の除外事由とし,当該労働者の療養が長期間に及ぶことにより生ずる負担を免れることができるものとする制度であるといえるところ,上記(1)のような労災保険法に基づく保険給付の実質及び労働基準法上の災害補償との関係等によれば,同法において使用者の義務とされている災害補償は,これに代わるものとしての労災保険法に基づく保険給付が行われている場合にはそれによって実質的に行われているものといえるので,使用者自らの負担により災害補償が行われている場合とこれに代わるものとしての同法に基づく保険給付が行われている場合とで,同項ただし書の適用の有無につき取扱いを異にすべきものとはいい難い。」
②「また,後者の場合には打切補償として相当額の支払がされても傷害又は疾病が治るまでの間は労災保険法に基づき必要な療養補償給付がされることなども勘案すれば,これらの場合につき同項ただし書の適用の有無につき異なる取扱いがされなければ労働者の利益につきその保護を欠くことになるものともいい難い。」

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