最初にお断りしておきますが、この記事は事件に関与しない第三者として、中国の現法令やこれまでの事例を参照しつつ法律家としての一つの見解を示したものです。死刑制度の当否、本件で死刑判決が出されることの当否とかについてはまったく中立です。
報道によれば、ご本人は『「スーツケースの中身もチェックしたが、覚せい剤が入っていたことは知らなかった」と一貫して否認』しているそうですから、覚せい剤運搬の故意、スーツケースに覚せい剤が入っていることについての故意の有無です。
下記ではかなり専門的でマニアックな話がつづきますので、先に法律家以外の方もわかりやすいような結論だけ示しておきます。
・ 本件で未必の故意すら否定するにはかなり合理的な説明が必要である。
・ 次の点についてどのように供述、説明するかが注目される
(1) 何故「自分」に「スーツケース」と「サンダル」を運ばせる必要があるのか。その時自分に運ばせるのかについて合理的な説明があるか。例えば、どうして小包で送れないのか、どうしてわざわざ日本から呼び寄せた「自分」が運ばなければならないのか等。
(2) 荷物検査により覚せい剤が発見された時の態度は堂々としていたか否か。単にうろたえていただけで直ちに故意がある方向に推認できないが、堂々としていたというなら本当に知らなかったということを裏付けるであろう。
(3) 本件の運搬にかかる覚せい剤は3キロと大量。密売組織が関わっているはずで、通常はスーツケース等の回収措置を講じているはず。すなわち、市議は日本?で誰かに渡す指示を受けていたはずと推定される。この回収措置についてどう合理的に述べるか(これは前回記事の日本の最高裁判例が参考になるところである)。
・ 量刑については、おそらく死刑の可能性が高いが、執行猶予が付くか否か極めて微妙である。検察官も確定的故意を主張するのでないと見られ、おそらく3キロという大量の覚せい剤ということに対する具体的な認識はないのだろう。かつ覚せい剤が社会に流通することがなかったことなどが有利な情状である。有罪であるとすれば、罪を素直に認めて捜査に協力する反省態度の欠如というのが、不利な情状となる。
なお、2013年の浙江省中級法院の裁判例で、約2900グラムの覚せい剤を自動車で運搬し、高速道路で検査を受ける際に逃亡して3ヶ月後に捕まったという事案(おそらく否認でなく自白)という事件の第一審判決で、死刑に執行猶予がついたというものがある。逃亡はないものの、否認しているという本件がこれとの比較でみても限界事例のように思える。
<以下細かい解説>
日本法では、未必の故意と認識ある過失が故意と過失の境界線とされます。正確性はともかくわかりやすくいえば「まさか覚せい剤は入っていないと思うけど、万一入っていたとしてもまあいいや」というのが本件の場合の未必の故意で、「通常こういう場合は覚せい剤が忍び込まされている場合もあるとは思うが、今回は絶対に入っていない」という場合は認識ある過失ということになりましょう。
さて、結構覚せい剤事犯の未必の故意というのは難しくて、大雑把に「違法薬物が入っているだろう」という認識でも、明確に「覚せい剤は絶対入っていない」という認識ではない場合、覚せい剤についての未必の故意は認められてしまうのです。「絶対入っていない」と明確に認識していない以上、違法薬物には覚せい剤も含まれるので「万一入っていてもまあいいや」と思っていると認定されるということです。
中国の刑法学上も未必の故意という概念は存在するようです。
ただ、中国では刑法14条1項に規定があり、「自己の行為が社会的な危害という結果を発生させることを[明知]し、かつそのような結果の発生を希望または認容[放任]して、犯罪を構成する場合、故意犯罪とする」とされています。後段の希望は確定的故意、認容は未必の故意を意味すると言い換えれそうですが、[明知]という中国語は訳出が容易ではありません。
さて、実は最高人民法院と最高人民検察院は2007年に共同して「薬物犯罪案件を処理する適用法律の若干問題意見」という司法解釈を出しています。そこでは次のように規定されています。
2 薬物犯罪被疑者、被告人の主観「明知」の認定問題
…「明知」とは、行為者が、自己の行う行為が違法薬物を運輸等する行為であることを知りまた知るべき場合を指す」
下記の状況の一に該当し、かつ犯罪被疑者、被告人が合理的な弁解をすることができない場合、「知るべきであった」と認定することができる。ただし、明確に騙されたと証明する証拠がある場合は除く。
(1) 法の執行者が、港湾、空港、駅、港口その他の検査場で検査した際、行為人に対し他人のために携帯する物品とその他擬似ま薬物であることを申請することを要求し、かつ法律責任を告知した上で、なお行為人が申告しなかった場合において、その携帯物のなかから違法薬物が発見された場合
(2) 虚偽の申告、隠匿、偽装等の隠蔽手段を用いて税関等の検査を免れた場合で、かつ携帯、運輸、帰宅した物品の中から違法薬物が発見された場合
(3) 法の執行者が検査した際、逃亡し、携帯物品を破棄しあるいは逃れて、検査等の行為に抵抗した場合で、その携帯または破棄した物品から違法薬物が発見された場合
(4) 体内に違法薬物を隠匿していた場合
(5) 尋常でない高額又はつりあわない報酬を得るために、違法薬物を携帯、運搬した場合
(6) 高度な隠蔽方法を用いて違法薬品を携帯、運搬した場合
(7) 高度な隠蔽方法を用いて違法薬品を引き渡し、それが明らかに物品の通常の引き渡し方式と異なる場合
(8) その他行為者が知るべきことを証明するに足る証拠がある場合
日本の最高裁と比べればかなり厳しい推定であると言えます。一番問題なのは(6)です。高度な隠蔽方法であれば直ちに明知と推認されてしまうということで、本件はスーツケース底やサンダルの底に隠匿されていたのでしょうから高度な隠蔽方法と言えそうであり、「合理的な弁解」の有無が焦点になるでしょう。
それにしても、普通は違法薬物は高度な隠蔽方法を用いて運搬されるでしょうから、(6)はあらゆる場合に明知を推認するに等しく、問題でしょう。運用上は「合理的な弁解」や「明確に騙されたとする証拠」を他の場合と比べてかなりゆるやかに解すべきと思います。
さて、司法解釈の当否はともかく「合理的な弁解」の有無が焦点になることはわかります。なお、報道によれば共犯関係にあるマリ人も否認しているということのようで、直接証拠は存在しないという前提で考えてよいと思います。
これも報道によれば「書類にサインすれば(ナイジェリア関連の)70万円ドルの投資損失を回収してもらえるという関係」があって、ナイジェリア人に頼まれたというのです。相当困難な回収案件を進める見返りに荷物の運搬を求められたという関係が伺え、これは高額報酬で運搬を行う事案に類すると言えそうです。
冒頭に結論を示したとおり、相当合理的な説明が求められるというのは、高額報酬の運搬案件に類すること、そして司法解釈が存在するからです。
量刑についても調査した事項は多岐にわたり、いろいろ書きたいこともあるのですが、この件はここまでにします。
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