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2013年5月14日 (火)

打切補償によって解雇制限が解除される労働者の範囲―専修大学事件

 打切補償については、正直「そんな制度もあったなあ」というくらいの意識だったが、今回実務に重大な影響を与えかねない裁判例が出されたので紹介の上、検討することにする。
 業務上の傷病で休職中の労働者は、休職中及び休職後30日後までは解雇できない(労基法19条本文)。平たくいうと、私傷病でなく、業務上傷病を負ったのに休業中に解雇されてしまっては労働者にとって気の毒だということである。
 ただ、労基法上の療養補償を行なっている使用者は、療養開始後3年を経過しても傷病が治らない場合は、平均賃金の1200日分の打切補償を労働者に支払えば、解雇が可能になる(労基法81条、75条1項、19条但書)。
 ここで、普通労基法上の療養補償を行なう使用者は皆無である。なぜなら実質強制加入の労災保険から療養補償給付(労災保険法13条2項)がなされるので、わざわざ自腹を切って補償を行う使用者は通常存在しないからである。
 なお、業務上傷病した労働者が、療養開始後1年6月を経過しても治らず、かつ傷病等級1ないし3級に該当する場合は傷病補償年金が支給される(労災保険法12条の8第5項)。そして、この場合において、療養開始後3年経過日すると解雇制限が解除される(労災保険法19条、労基法19条1項)。
 労基法81条は打切補償の支払いの対象を「(労基法)第75条の規定によつて補償を受ける労働者」と規定している。これを文字どおり読めば、「労基法上の療養補償規定によって補償を受ける労働者」ということになり、労災保険法上の療養補償給付を受けている労働者は含まないということになる。本当にそのように文字どおり解釈すべきか、従来まったく問題とされなかったこの点が問題になったのが専修大学事件(東地平成24年9月28日・労経速2163号3頁)である。
 上記判決は、文字どおり、労基法上の療養補償を受ける労働者に限られ、労災保険法上の療養補償給付を受ける労働者は含まれない、とした(便宜「否定説」と呼ぶ)。つまり、使用者が打切補償によって解雇制限を免れるためには、労災保険から給付が出るにもかかわらず、自腹を切って療養補償を支払わなけれダメだ、と判断したのである。実質的には打切補償による解雇制限の解除という制度を空文化したといってよい。
 判決が否定説を採った根拠は、ごく大雑把にまとめると次の3点である。
 ① 罪刑法定主義から、労基法81条は文理解釈をすべきである。
 ② 労災保険法上の給付が行われている場合、使用者の負担はないから、補償の長期化による負担から使用者を開放する必要はない。
 ③ 傷病補償年金の受給者は職場復帰の可能性がないが、他方療養補償給付の受給者は職場復帰の可能性があり、雇用関係維持の必要性がある。だから文理解釈に反してまで解雇制限の解除の適用を認めるべきでない。
 さて、どう考えるべきであろうか。
 まず、①の罪刑法定主義についてはあまり説得力がない。被告人に有利な類推解釈は許されるというのが刑法学での常識で、療養補償給付を受けている労働者にも労基法81条を準用することは被告人にも有利だから、このような類推解釈(準用)はまったく否定されないからである。民事の裁判官も年季が入るとこのようなあたりまえのことを忘れてしまうのだろうか。
 となると、②③の是非が核心になってくる。この理由づけは一見もっともらしいようにみえるが、突っ込んで考えるとやはり問題があるように思われる。
 法律上、次のような場合に、3年の療養期間経過後の打切補償による解雇制限の解除が認められることは明らかである。
 ア 使用者自ら療養補償を行なっている場合
 イ 労働者が障害等級1ないし3級に該当する場合=傷病補償年金を受給している場合
 否定説をとるということは、
 ウ 労災保険法上の療養補償給付を受けている場合
 は、打切補償による解雇制限の解除は認められないということである。
 すると、ア、イ、ウの場合を統一的に説明するには「障害等級4級以下に該当するものは、なお職場復帰の可能性があり、雇用関係を維持させる必要性が3級以上のものより高い。しかし、そのような者の雇用関係を維持させる利益は、3年経過すれば使用者の療養補償の負担を免れるという利益よりも優先されない」ということになろう。
 果たしてこれでよいのだろうか。労災保険制度というのは、使用者の資力の有無によって労働者が影響されることのないようにするためのものではないか。そうすると、労働者にとって預かりしらない「使用者が自腹を切って療養補償を支払っている」という事情によって、労働者の雇用関係が左右されるような事態を果たして想定しているのだろうか。こう考えると、否定説の理解はややいびつであるように感じられる。
 肯定説からア、イ、ウの場合を統一的に説明すると、「療養期間が3年におよべば、業務上の傷病者であっても打切補償によって労働契約解消という不利益を甘受してもやむを得ない」、要するに、たとえ業務上の傷病であっても3年間職場復帰できない労働者は、今後の職場復帰の可能性がないか、あるいはあったとしても非常に不安定であるから、打切補償と引き換えに雇用関係の解消を認めてあげようというものだといえる。3年以上職場復帰できなかった労働者がその後安定して勤務できるか、統計上のデータがあれば知りたい。
 実は、多くの企業が業務上の傷病を含む労災について、労災保険法に上乗せして補償するような規定を設けており(ある統計によると全体の50%の企業)、否定説の本当の問題はここにある。つまり、いわば良心的に法定外の補償制度を設けている企業は、いつまでたっても打切補償による雇用関係の解消が認められず、延々と法定外補償を負担し続けなければならなくなってしまいかねない。専修大学事件も実は法定外の補償を約1900万円支払っているような事例で、このような負担を使用者側に負わせるのは不当に思える。
 判決は、法定外補償は「私的自治の問題だから解釈に影響しない」とか、「否定説をとると今後法定外補償制度が萎縮してしまうという主張は政策論にすぎない」といってバッサリ切り捨ててしまっているが、あまりに形式論にすぎるだろう。仮に否定説を採るにしても、例えば3年経過すれば就業規則の規定にかかわらず法定外補償の義務は免れるような法的構成を示唆すべきである。
 やはり否定説は解釈論としても、なにより実質論としてもしっくりこず、本件は控訴されたようなので控訴審で逆転する可能性は十分にある。
 仮に否定説が確定した場合、企業としては法定外補償制度は定めないことが無難ということになるし、法定外補償を定めている企業は就業規則を変更したほうがよいということになって(就業規則の不利益変更にあたるので、その合理性が認められるかという困難な問題が派生する)、実務上混乱を招くと思われる。
 とはいえ、本判決のみならず、中央労働基準監督署労働基準監督官も否定説をとって専修大学に是正勧告をしたようであるので、否定説も十分有力な考え方のようである。是非否定説側から、上記東京地裁判決を擁護する理由を聞いて、より深い議論をしてみたい。

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コメント

リハビリテーション医師です。
こういう議論、制度があったのですね。
上乗せの法定外保障についても、興味深く思いました。
3年…復職できないヒトは、狭い私の経験からは、復職できないように思います。
1年から2年は、十分な療養・リハビリを行える期間を設けてあげるにしても、3年目になったら、職場の方で、本人のできる仕事に見合った席を準備して、トライしていただいて、無理だったら、…と思います。
労災ということで、この案件の方は非常にお気の毒ですが、本来の職域と違うところで復職する等の対応もできなかったのでしょうか。元医師が草抜きをする、元教授がシュレッダーがけをする、など、専門職であればあるほど、本人も周囲も納得できないかもしれませんが、そのような仕事ですら、今の厳しい社会情勢では、 復職 という一種のコネが無ければ得られません。脊損であれば、エクセル管理…など。精神障害であれば、SOHO的な文書仕事。
 生活保護も、障碍者年金も、決して十分な生活資金になるようなものではありません。本来の職域とは異なっていても、特に労災であれば、早めの復職を、医療と職場と本人・家族が調整していれば、と思います。

投稿: しましま | 2015年4月17日 (金) 17時49分

 コメント頂き、ありがとうございます。実務の現場にいらっしゃる方からの意見、非常に参考になりました。
 非常に本質的なことをご指摘になられているとおもいました。労災認定の等級上、3級から1級までは労働能力喪失率が100%であるとされており、4級以下はそうではありません。これは労災給付や、労災基準が参照される交通事故の賠償基準に適用する妥当性はあっても、「3級以下でなければ復職できる」というような命題には直ちに参照できないと考えます。4級から5級の場合でも現実は職を得られない場合が多いでしょうし、障害者雇用対策としての雇入れという場合も多くあるように思います。それこそ、大学教授がシュレッダーがけをする、というような前提がなければ復職可能性は肯定できないのではないかと思います。「復職という一種のコネ」とは正鵠を射られたご指摘だと思いました。
 「早めの復職を、医療と職場と本人・家族が調整」とのご指摘もまた重要だとおもいます。使用者としてはとにかく就業状況の不安定な休職者を迷惑払いしたいと考えがちですが、家族や本人と一緒になって、どのような対策が本人その他のために一番良いかしっかり検討することが必要だと思います。

投稿: 野田 | 2015年5月 3日 (日) 23時48分

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